社内では1965と呼んでいる1st.ダイバーズのデザイン的な特徴とは、シンプルで力強いところです。1960年代の腕時計によく見られたシルエットが魅力で、それを継承しながら進化させていきました。初代ダイバーズといえば直線的なエレメントで構成されたダイヤルが印象的ですが、そこにセイコーの伝統的なレイアウトの考え方である“クロスラインレイアウト”を掛け合わせてモダナイズしています。
今回取り上げる腕時計は、セイコーの1st.ダイバーズと呼ばれる伝説のモデルを現代解釈デザインで2020年に蘇らせたモデルです。 ご存知の方も多いかと思いますが、ご先祖モデルは日本初のダイバーズウォッチとして1965年に登場。オリジナルの機体は昨今アンティーク時計市場で極めて高い評価を得ている国産腕時計の雄なのです。その伝説の腕時計を現代的な解釈でデザインし直すことで、新たな価値を生み出そうという大胆な試みがなされたという次第です。 お話をうかがったのは、セイコーウオッチ株式会社 デザイン部の岸野琢己さん。オブザーバーとしてデザイン部 部長の平岡孝悦さんにも同席していただきました。
2006年、セイコーウオッチ入社。セイコーブランドや国内若者向けのWIREDブランドなど幅広いジャンルのデザインを担当後、現在はグローバルに展開するPROSPEXのデザイン・ディレクションを手がけている。趣味は、バスケとスニーカーと街歩き。
1991年セイコーエプソン入社。他業種の経験を経て、2008年にセイコーウオッチに入社。90年代はSUS、h-timetronなど若者向けの商品企画に携わり、ここ10年は機械式時計を中心にセイコーブランドの商品企画を手がけ、2020年にデザイン部 部長に就任。趣味は、お城めぐりと温泉探訪。
2020モデルのデザインを手掛けた岸野さんによると、まず考えたのは初代から何を受け継ぎ、どのように次のステップに向かうべきなのかということ。
社内では1965と呼んでいる1st.ダイバーズのデザイン的な特徴とは、シンプルで力強いところです。1960年代の腕時計によく見られたシルエットが魅力で、それを継承しながら進化させていきました。初代ダイバーズといえば直線的なエレメントで構成されたダイヤルが印象的ですが、そこにセイコーの伝統的なレイアウトの考え方である“クロスラインレイアウト”を掛け合わせてモダナイズしています。
クロスラインレイアウト! ご同席の平岡さんは、このキーワードを掲げて1990年代に腕時計の視認性に重きを置いたデザインを実践していましたよね! そのあたりの解説をお願いします。
1990年代はクロスラインレイアウト、すなわち垂直と水平をしっかり見せるメソッドを見つめ直し、腕時計の本質『視認性と判読性』を改めて追求した時代でした。新たなデザイン文法に基づく実験的なシリーズや製品が数多く開発され、当時、ガンダーラさんに取材して頂いたSUSシリーズもそのひとつです。
1990年代に再定義されたセイコー伝統のメソッドが21世紀になっても生き続け、今回の岸野さんのデザインに受け継がれているということですね。何だかゾクゾクします。
12・6・3・9時の形作る十字を強調するクロスラインレイアウトの考え方からすれば、初代ダイバーズは『よく見れば十字が強調されているかな?』というスタイルです。そこでクロスラインレイアウトをあまり強くしすぎると、オリジナルの特徴が薄れてしまいます。そのバランスを意識しながら作り上げていきました。
初代の特徴といえば12時のインデックスが大きな四角形ですが、それをあえて踏襲しなかったのも視認性を最優先したデザインメソッドを採用したからなのですね?
ダイバーズウォッチは腕時計の中でも視認性が特に優れた物でなければなりません。そのため、腕時計の中で1番の目安となるトップのインデックスにはセンターラインを設け、一目で判読できるようにしています。
岸野さん自身もアドバンスド・ダイバーのライセンスを持っているだけあって、その主張には説得力があります。でも、現実的にファンダイビングの世界で機械式のダイバーズウォッチをしている人ってそれほど多くなくて、むしろ日常生活での需要が多い気もするのですが?
ご指摘どおり、ダイバーズウォッチはしていなくてもダイビングコンピューターがあれば潜れる。という考えの人もダイビングの現場には存在します。でも、プロスペックスのダイバーズは最終的には『お守り』なんですね。これを持っているから安心、お守りを持って潜ろう。みたいなところに行き着くので、視認性は確実に守るべき部分です。この腕時計のユーザーがたとえダイビングに使わない人だとしても、そこは魂として残さなければならない。だから厳格にしています。
目の覚めるような硬派な発言、ありがとうございます。では視認性という観点で、機能を形状へと落とし込んだポイントは他にありますか?
時分針は、針の先端がどこを指しているか明確に判別できるように、方向性のある形状にしました。また、断面を峰形状にすることで中心線も分かりやすくしています。
ベゼルの太さと数字のフォントにも変化が見られますが、その意図は?
回転ベゼルのアラビア数字は、判読性において非常に重要な要素であると共に強い個性にもなります。現代解釈2020デザインでは初代のエレメントをきちんと受け継ぎながら読みやすく、さらにスタイリッシュな出で立ちにリシェイプしています。また、数字にマットの顔料を入れることで初代のメッキ仕上げより反射を抑えて視認性を向上させています。
視認性へのコダワリ、すごいものがありますね。新たに注ぎ込まれたアイデアとして、これは見逃せないというポイントは他にありますか?
新たなデザインの効用としては、視覚的な装着性を高めたことですね。
視覚的な装着性? 触覚ではなく視覚というのが新鮮ですね!
これは、時計を見るときに装着者の肌がこの面に反射するように計算した角度になっています。
おお! これは1965年モデルにはなかったエッジの処理ですね。ちなみにこの斜面がどのような効果を及ぼすのでしょうか?
ケース上面は初代と同様に円周筋目をかけているので反射が抑えられていて、この斜面の部分で人の肌を拾います。時計を真正面から見たときに、エッジの部分が肌色になり、視覚的に馴染んで見えるのです。
ケースサイズ40.5mmのうち約1.5mmの鏡面の作用によって、時計が腕に馴染んで見えるようになります。これが“視覚的に装着性を高めた”ということです。
このコダワリのエッジに、いろんな肌の色のユーザーさんの腕の色が反射して、それぞれの国や地域で馴染んでいく。ということを想像するとデザインの役割ってすごいなぁ。と思います。ちなみに裏蓋側のエッジにもコダワリがあるんですよね?
はい。ここは、物理的な装着性を考慮したデザインになっています。腕元から側面のボトムラインまで4mmを切る設計にすることで、重心を落として安定感を生み出しています。
低重心による安定感に加えて、なだらかにカン足を落とすことで多くの人の腕のラインにフィットするように仕立てています。また、リュウズの位置が側面の中央にくるように丁寧にデザインしています。
なるほど。丁寧にデザインを突き詰めていく姿勢は、腕時計に限らず様々なプロダクトにおける日本人の誇るべき美点ですよね。丁寧といえば、ドーム状のサファイア風防のディテールにも心惹かれるものがありました。
実は試作では上面がフラットで内側に球面を作っていました。そうするとケース全体の厚みは下げられますが、凹(おう)レンズ効果でダイヤルが少し下に落ち込んで見えてしまったのです。それは全体の完成度として良くないと思い、物理的な厚みよりも視覚的な心地よさをとって上面カーブを採用して凸(とつ)レンズ効果を狙っています。
それでダイヤルが少し浮き上がっているように見えるのですね! 1965年の初代ミネラル風防の膨らんだ雰囲気を再現しつつ、屈折率の高いサファイアを用いることで新たな効果も生み出しているのが素敵だと思います。凹にするか凸にするかはロジックというより感性に訴えかける部分ですよね?
感性という部分は、カラーの選定にも現れています。セイコーのダイバーズは誕生から55年が経過し、成熟の域に達しています。その深みを、情感に訴えかけるようなニュアンスのある色味で表現しています。まず採用したのは伝統のチャコールグレー。言わずもがなの初代ダイバーズにも採用されていた色です。もうひとつはモカブラウン。香り高いコーヒーのように深い味わいのある色味です。
伝統のチャコールグレーと、成熟のモカブラウン。どちらもいい色ですね。モカブラウンのインデックスは蓄光塗料にクリーム色を差し込むなど、岸野さん流のデザインへの丁寧な取り組みが表れていますね。今回の現代解釈デザインを改めて振り返っていただくと、どのようなものだったでしょうか?
1965ダイバーズは単純なシルエットの中に全世界が込められているような腕時計です。その世界観をいかに崩さずに、しかも機能としてアップデートしていくかが課題でした。それを解決するためのデザインが、ここでお話したことなのです。
あくまで復刻ではなく、次の時代に入ったモデルのアイデンティティを示すことが現代解釈デザインの使命ということですね。復刻モデルとは別のラインでこのようなデザインのアプローチをしているブランドはあまり例がないと思うのですが、デザイン部としての今後の取り組みを平岡さんからお願いします。
セイコーではプロスペックスとしてブランド化される以前に、スポーツと呼ばれるシリーズが存在していました。その当時は陸・海・空と全ジャンルを踏破することに全力投球して、デザインの持続性という考えは希薄だったと思います。そこで培われた土台は何か?何を残すべきか?先人の思いを受け継ぎながら、未来に向かって新たな提案を示したい。それを実現するために現代解釈デザインを考察し、実践する中心に岸野さんがいて、5年ほど前から活動しています。今後も名作の復刻と併走するデザインプロジェクトとして、この取り組みを続けていこうと考えています。
まさに温故知新! 昔のことをたずね求めて、そこから新しい見解を導き出す姿勢ですね。その見解とは、しっかりしたコンセプトと丁寧なデザインの積み重ねで出来上がっていることが実感できました。本日は、デザインの真髄に迫る貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
ライター。1964年 東京・日本橋生まれ。早稲田大学社会科学部卒。松下電器(現パナソニック)宣伝事業部に13年間務める。在職中から腕時計の蒐集に血道をあげ、「monoマガジン」で世界のどこかの時計店で腕時計を買い求める連載を100回続ける。2002年に独立し「Pen」「日本カメラ」「ENGINE」などの雑誌や、ウェブの世界を泳ぎ回る。著作「人生に必要な30の腕時計」(岩波書店)「ツァイス&フォクトレンダーの作り方」「Leica M10 BOOK」(玄光社)など。
”Time Experience〜時間経験〜”をコンセプトに、国内外の名作時計やヴインテージアイテムなど、様々な思いやこだわりの詰まった腕時計をセレクトして展開しています。
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